北海道旅行を気にする男性が増加
だしぬけに、頭がうしろへ引っぱられた。
輸になった針金が首に巻きついたのだ。
喉が締めつけられた。
少しずつうしろ向きで泳ごうとした。
動けなかった。
そのわずかな動きによって、背中の器材が、ぶらさがっていた電気ケーブルに引っかかってしまった。
こういった苦境のさいに必要な、身体の力を抜いて手順を逆に追う時聞がないことはわかっていた。
腕力で切り抜けるしかないとわかっていた。
持ち場で待機していたコーラーは、腕時計をチェックした。
チャタトンはただ遅いだけではなかった。
ひどく遅かった。
チャタトンは喉元の針金の輸を引き、力ずくで首からなんとかはずした。
呼吸はいっそう速くなった。
手を伸ばして、器材に引っかかったケーブルを引っかいた。
はずれなかった。
身動きできなかった。
彼の身体を束縛しているものをもっと強い力で引きちぎろうとした。
ケーブルはヒューッと音を立てて抵抗し、はずれようとはしなかった。
彼は、ありったけの力でそれを引っぱった。
ついにはずれた。
やっと自由になったチャタトンは、あと一度でもなにかに引っかかったら終わりだと思いながら、コーラーのところへ急いだ。
すぐにたどりついた。
あとはタンクをはずして、すきまを通過すればいいだけだった。
タンクに手を伸ばしながら、息を吸った。
レギュレーターからは、ごくわずかな量の気体しか口にはいってこなかった。
チャタトンは、この感覚に覚えがあった。
いま息を吐けば、肺の空気はなくなってしまう。
チャタトンはタンクをもぎとって、天井近くのすきまに押しこんでから、自分もそこへ突進した。
反対側に出たときに息を吸ったが、ガスは送られてこなかった。
ガスは完全に底をついた。
チャタトンはレギュレーターを口からはずした。
小型ボトルへ行くことだけが、いまの彼に残された希望の道だった。
だがボトルは、区画の外の、さらに沈没船の上に置いてある。
少なくとも一五メートルは泳がなくてはならなかった。
コーラーのレギュレーターを借りてもいいが、すこしでも遅れ捨て身の計画たり、意志がうまく伝わらなければ致命的なので、それはやめることにした。
いまや口元をむきだしにしたチャタトンは、力をこめて冷静にキックした。
彼は、男たちがじたばたあがいて死ぬのを見てきた。
彼は死にかけていた。
じたばたしようとは思わなかった。
チャタトンがディーゼル機関室から魚雷のように飛びでてきて、沈没船の上へ向かった。
レギュレーターをくわえていない友人を見て仰天したコーラーが、そのあとを追った。
小型ボトルが目にはいったとき、チャタトンの肺は悲鳴をあげた。
彼はもっと強くキックした。
全身の細胞が酸素を求めて金切り声をあげ、呼吸をしろと彼の顎を引っぱった。
チャタトンはぐっと口を閉じた。
小型ボトルに達した。
レギュレーターをつかんで口に押しこむと同時にバルブをひねった。
新鮮なガスが肺に流れこんだ。
最後の息がぎり、ぎりもった。
数秒して、コーラーがそばにやってきた。
彼はチャタトンの目を見てから、自分の胸を指さした。
「あんたのせいで心臓発作を起こしたよ!あんたのかわりにおれが死にそうだ」という意味だ。
彼らは、長時間の減圧を開始した。
ほほ二時間近いあいだチャタトンは、自分が冒した恐ろしい数々の危険のことしか考えなかった。
ときどき声に出して、「あんな事故は二度と起こさないぞ」といった。
自分が回収し、コーラーがまたべつのダイバーに調査をたのんだ部品箱のことはすっかり忘れていた。
減圧がそろそろ終わりというころ、ウィル・マクベスというダイパーが、アンカー・ロープをおりてきた。
マクベスはチャタトンに、水中ノートを手渡した。
そういえば六年前のUボート発見ツアー措水艦で、チャタトンは、筆記板にHSUBHと書いたのだった。
だが、このノートにはべつのことが書かれていた。
〈Uーwho〉に名前がついた〈U869〉だ。
おめでとう。
もっと若いころであれば、コーラーは飛びあがって喜び、チャタトンの背中をどやしつけていたかもしれない。
チャタトンは、勝ち誇ってこぶしをふりあげていたかもしれない。
きょうのふたりは、たがいの目をじっと見つめた。
そして、どちらともなく同時に、手を差しだした。
ふたりのダイパーは握手した。
この日、彼らは大切なものを見つけた。
この日、彼らは答えを手にいれた。
エビームーゲルローグエビームーゲルローグ一九九七年、チャタトンとコーラーは、沈没船を〈U1869〉と特定した。
いまにいたるまで、依然としてとけない謎はある。
なぜ〈U869〉は、ジブラルタルヘコース変更を命じられたのちもニューヨークに向かったのか?〈U1869〉はどのような最期を遂げたのか?いかにして乗組員は死んだのか?これらの問いに対する答えがあきらかになることは、おそらく永遠にないだろう。
Uボートは乗組員もろとも沈み、目撃者はひとりとしていなかった。
とはいえ、どういうことが起きたのかを推定することはできる。
大筋はつぎのようなものだったと思われる。
〈U869〉の発令所の大破は、その潜水艦自身が発射した魚雷によるものと見てほぼまちがいないだろう。
〈U1869〉などのボートは、一九四五年には二種類の魚雷を搭載していた。
通常の「パターン航行」魚雷は、一定の運動パターンを取って攻撃目標に達するよう。
プログラビームーゲルされ、ジャイロスコープを使用した操縦機構を内蔵していた。
それよりも高度な音響誘導魚雷は、敵艦船のスクリュー音を探知して追尾を行なった。
そのどちらのタイプも、発射されたUボートに逆戻りすることがときおりあった。
そういう魚雷は、逆戻り魚雷と呼ばれた。
逆戻り魚雷が船体の下や上を通過していったという例が、多数のUボートによって記録されている。
音響誘導魚雷は、発射した潜水艦の電動機やポンプや発電機の音をとらえて追跡することがあるので、ことに危険だった。
自爆を避けるために、音響誘導魚雷を発射後ただちに急速潜航するきまりだった。
艦長は、来襲を前もって知らされることがたびたびあった。
一分間に数百回転する魚雷のスクリューは、はっきりそれとわかる高音を発するので、かなりの距離からでもUボートの聴音士に聞きとれた。
また、魚雷が接近してくるときには、全乗組員にその音が聞こえた。
報告を受けた艦長はしばしば、逆戻り魚雷を回避するために潜航するか、コースを変更する手段を取ることができた。
いまなお行方不明のUボート六五隻のうち、何隻が逆戻り魚雷によって沈没したかは永遠の謎として残るだろう。
本質的に、逆戻り魚雷は存在をあかすことはほとんどなく、目撃されることはない。
理想的な条件がそろえば海がおだやかで、水中で音がよく伝播し、早期に探知し、すばやく報告がくればノイエルブルクには、逆戻り魚雷に対応する時聞が三O秒かそれ以上あったかもしれない。
条件がもっと悪かったり、聴音士が障賭したりすれば(あるいはその両方ならてその時間はもっと短かったはずだ。
魚雷は、〈U869〉に衝突した瞬間に爆発したのではなかっただろう。
衝突してから、魚雷の弾頭に内蔵されたビームーゲルストルがかちりと音を立てて爆発を誘発するまで、一秒ほどの時差があっただろう。
かちりという音潜水艦乗りにとっては聞きまちがいようのない音は、遠方の目標に命中した魚雷からさえ聞こえたという。
爆発寸前に、乗組員がちょうど聞きとれるくらいの音がしただろう?
エビームーゲルロークドイツ軍の魚雷の大半は、二八Oないし三五0キロの高性能爆薬を搭載していた。
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